祖 Root
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![]() | 江蘇省(コウソショウ)・宜興市(ギコウシ)・丁蜀鎮(テイショクチン)という場所では、地元で採掘される「紫砂泥」を原料として、北宋(1100年頃〜)時代から素焼きの容器を作り始めました。 釉薬がかかっていない独特の色やテクスチャーをもった「紫砂容器」は評価され、中国全土に広がって行きます。 この頃の「紫砂容器」とは主に水を煮る瓶のことでしたが、その後500年位の間に、瓶から土瓶、土瓶から茶壺の原形へと発展していきました。 |
![]() | 明代中期頃になると、宜興の茶壺作りは、日常の陶器から特別な工芸分野として扱われるようになってきます。 明末〜清代にかけては、芸術性を追求し表現方法を模索する優れた作家が表れ、後世(Cの時代)に良い作品としてもてはやされる多くの作品が、この時代に生まれています。 明代末期頃からは輸出が始まり、「紫砂泥を用いた茶壺」は「紅い磁器」と呼ばれてヨーロッパ市場へ出まわるようになりました。 そしてヨーロッパ陶器メーカーのティーポットの基となり、日本でも茶壺を手本として朱泥急須を作ったといわれます。 |
![]() | 清代中期〜末期には、文人や茶人が「良いお茶を丁寧に味わうこと」を提唱し始め、「紫砂茶壺」の製造は文人や茶人等とのコラボレーションにより新たなジャンルを切り開き、空前のブームを巻き起こします。 青茶が盛んに作られていた華南地方では、小さな茶壺を使った「工夫式」喫茶の基礎が確立されました。文人、茶人、書画家などは、大陸の大自然の地を訪ね、互いの交流を通して「喉を潤す茶」と「煮出すための容器」を、「茶を愉しむこと」と「茶道具としての機能や優雅さ」へと変えていく存在であったと考えられています。 「紫砂茶壺」は昆虫や自然をモチーフにしたデコラティブな装飾芸術で有名ですが、魅力はそれだけではありません。 機能と美しさを兼ね備えた形のデザインはもちろん、豊かな色陶土の配合や配色、粒子の細かさなどを組み合わせて作る無釉薬ならではの表現の豊かさがあり、作家が独自の表現を模索し、研究することで奥深い芸術品として発展しました。 |
![]() | 戦争、内戦による茶壺産業の停止状態を乗り越え、1950年〜1955年頃には中国政府による茶壺産業への投資が行われ、宜興は量産態勢を整えました。 また、香港や台湾への輸出の成功は「紫砂茶壺」の価格高騰を招き、人気のあった作家のアンティーク品のイミテーションが出まわるなど、市場は混乱します。 その後景気は悪化し、新たに意欲的に作られる作家の作品も数少なくなりました。また宜興の陶土は、限り有る資源のため採掘が大変難しくなり、現在では表現できない色合いもすでに出始めています。 |
清香深趣 |













